再現性と学術論文
前号ではミッチェル・ハスらによる筋力テストについての研究論文を紹介した。ことの性質上、当然、あちらこちらからさまざまな反論がわきあがってくるだろうことは、彼らも、また掲載誌であるJMPTの編集者も予期していたはずである。
クリーブランド・カイロ大のマーク・ジャーメル(Mark E.Jarmel)D.C.は、Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics,1994;vol.17:p.620の「編集者への手紙」で、概ね以下のように述べた。 ―「ハスらの研究は、アプライド・キネシオロジー(AK)におけるきわめ重要な要素を見逃すことからくる誤謬をおかしている。AKのチャレンジでは、あくまで指で脊椎に触れなくてはならない。ハスらの実験でのように、アクチベーターや圧力計で脊椎に触れるのはチャレンジと呼べるものではなく、あれでは彼らが導き出したような結果(「筋力テストは診断の具として信頼に足るものではない」)が出ても仕方がない。
「10年に及ぶ筋力テストと、AKのトレーニングの経験に基づいて私は判断する」
おそらく私がやっても、また誰がやっても、あのような実験のセットアップでは同様の結果が出るであろう。その点では、ハスらは忠実な実験を行った。が、これをして彼らが「筋カテストによる診断は信頼に足らない」と一般化した形で結論を述べたのはいただけない。
それほどAKにおいては、生きた人間の指で脊椎に触れて、「電磁エネルギー」を通じてやることが重要な要素であるということだ。
(「」内の太字は筆者による原文からの翻訳引用=以下同)
「機能不全を起こしている関節を支配している神経線推の活動が昂進すると、その生体を取り巻いている電磁場のゆがみが生じると考えるのは合理的なことである。電流が発生すれ必ずその固りに電磁場が発生するという事実に照らして、これは自然な考え方であり、神経活動も電気の流れであろということを考えれば、上のような結論に達して差し支えないのである。機能不全を起こしている関節の付近では電磁気活動が昂進しており、AKの検査を行う者はこの関節に触れることによって、その付近にさらに自らの電磁場を加えていることになる。圧受容器の興奮は、筋活動の反射的阻書を引き起こすことが知られている。検査者の電磁エネルギーが充分に伝わると圧受容器が興奮し、筋活動の阻害が起こる」
このような重要なAKの原則すら踏まえずに行われたハスらの研究は誤りであり、またその果は最初から彼らが持っていた偏見に基づくものであり、あのような否定的結論を含む論文が公的な学術誌に掲載されたことは非常に残念なことである。
『編集者への手紙』コーナーでは、こういった既報の論文に対する批評(多くは反論)が載るのだが、それにすぐ続いて、今度は批評された側(もともと論文を書いた側)の“返答”(InReply)というのがくる。当然これは反論のまた反論になる。さて、ハスらの“返答”は3段えである。以下に要約する。
第1に、ジャーメル先生は我々の論文にずいぶんと憤慨しておられる様子だが、なにも我々はAKすべてを否定したわけではない。データを添えた上で筋力テストは駄目だといったまでで、学術誌上でこのような誹謗を行うのはけしからんといわんばかりのジャーメル先生の論調は筋違いである。
第2に、指先で直に椎間関節付近を触れて、患者の身体に電磁エネルギーを送り込んでやることが筋力テストにおいては必須であり、これを行わなかった我々の実験は無効であるとのことであるが、これについては我々は、
「謹んで不同意中し上げなくてはならない」
生体周辺に電磁場が存在していて、これに他の生体のもつ電磁エネルギーが作用し、それが臨床的に識別可能な結果を生むという現象については、
「我々が知る限り、いかなる学術論文中にもその存在を確認できない。よって、ジャーメル先生の主張は根拠をもたない」
最後に、我々は自らの合理的判断に基づいて件の方法で研究を行ったが、
「lCAKで予算を組んでいただけるのであれば、我々はさらにこの研究を進める用意がありますよ」
と、余裕の締めくくり。
ICAKとは、AKの普及・教育を行っているアメリカの組織であり、ジャーメルの方は自分の身分をクリーブランド・カレッジの者としか言っていないのに、この組織名がどこからともなく出てきてしまって、そのまま通ってしまっているところが面白い。
ここで学術論文ということについて説明しておきたい。
学術論文とは何かといえば、書いた人がこれは学術論文だと言えばそうなるのかといえばさにあらず。ずばり、学術誌に載ることが学術論文の要件である。
では、学術誌とは何か。ある刊行物が学術誌として認められるためには、さまざまな規定をクリアしなくてはならない。編集局に一定数以上の博士がいなくてはならなかったり、そのそれぞれの博士がそれなりに研究を発表するなどして専門の分野で知られた人間でなくてはならなかったり、あるいは編集者が正しい統計処理の技術を持っていなくてはならかったりなど、詳細は省くが、まあいろいろあるのだ。で、学術誌と認められると、そのすべてのバックナンバーは連邦図書館に保存され、そこに書いてあること(学術論文)は人類の進歩に貢献するもの、もちろんすべて本当のこととして残っていく。
ここで問題。ある研究が科学的な研究であると認められるための要件とは何だろうか。
これもずばり、〈再現性〉の一語であると、きれいさっぱりと言い切ることができる。行うは難しだが言うは易しだから、『マニピュレーション』を購読なさるほどのみなさんなら、このことはよく覚えておいでになった方がよろしい。
その論文中に説明されている方法を忠実に再現しさえすれば、アメリカにいようが日本にいようがウガンダにいようが、必ず同様の結果を得ることができるということ、これが再現性である。再現性を有するもののみが科学であると極論してもよい。
いかなる科学的主張も、この再現性が担保されて初めて本当のこととなる。ということは、これがない限りは本当のこととは認めてもらえないのがルールである。
JMPTの編集長であるダナ・ローレンスが筆者に語ったことには、学術誌の編集の仕事とはすなわち、寄稿される研究論文が再現性をもつかどうかをチェックすることであるという。当然、送られてくる論文をノーチェックで載せるわけではない。適当と思われる複数の編集委員にその原稿を送り、再現性を含む研究方法の妥当性、統計的処理の正当性などについて意見を求め、修正すべき点が指摘されればこれを寄稿者に突きかえして手直しさせる。このプロセスが反復されたのちにやっと論文は日の目をみるわけだから、当然時間もかかる。前回紹介したハスらによる筋力テストについての論文は1993年の3月に寄稿されて、誌上に載ったのが1994年の3月だから、寄稿から活字になるまでちょうど1年かかっている。
学術論文にはたいていその備考欄にいついつ寄稿されて、いついつに改訂されて、などということが書いてある。これを見ていると、ものよっては2回も3回も改訂されたのちに2〜3年越しでやっと掲載にこぎつけている論文も珍しくない。
さて、仮にも学術的議論の場で何か一つの主張をもってきて、これが正しいんだと言いたかったら、方法は二つに一つである。その1、再現性のある実験方法を示した上で実験データを示すこと。その2、既刊(既報)の学術論文から引用すること。その3以降というのは断じて存在しない。
誰が何を叫ぼうと、これは「それはどこの学術論文に載ってるの? どこにもないの? そう。それじゃ残念ですが」で却下できる。いや、却下すべきなのが学術の世界であって、「うん、確かに理屈が通っているようだ。そういうこともあるのかもしれない」などといちいち感心して寄り道していては、学問などというものの進歩は止まる。
学術誌にもさまざまな専門分野があるのだが、カイロプラクティックの分野で学術誌になっている刊行物は今日にいたるまでJMPT(Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics=邦訳すれば『手技的および物理的療法学会誌』とでもなろうか)のみである。これは仮にもカイロプラクティックに興味をもつ者であればしっかりと覚えておかなくてはならないことで、カイロプラクティックについて考える上で、あるいは議論する上で、JMPTから引いてきたデータや論拠は誰がなんといっても、またどこへ行ってでも本当のことであるとして提出できるものなのだ。カイロプラクティックがこのような学術誌をもつに至ったということの重要性はいくら強調しても足りない。
本場アメリカのカイロプラクティックなどといってみても、個人開業しているドクターたちの日々やっていることが何か特別物凄いことであるというわけではない。むしろ手技の上手さだけでいえば、日本のカイロプラクティック業者の中にもアメリカの平均を凌駕している人も多くいると思う。にもかかわらず、アメリカのカイロプラクティック最先進国としての地位は今後もまったく揺らぐ心配がない。学術誌をもっているという事実によって、その先進性は完全に担保されているといえる。
『編集者への手紙』コーナーは、そもそも勝ち負けの判定などはしない。が、形の上ではこれは立派な討論の場になっているのだから、読者の方はそれなりに議論の勝敗の判定をするだろう。ジャーメル対ハスのやりとりではどちら分があったか?吟味していきたいところである。