ドクターKの物語
しばらく仕事に悩んでいたという。
久しぶりの国際電話でそう聞いて、Kの学生時代を知っている僕は、いかにも彼らしいことだと思った。筆者とナショナルカイロプラクティック(以下カイロ)大学の同級だったドクターKは、今はアメリカの中規模都市で開業している。
おおかたのアメリカ人学生が低利・無担保しかも返済開始は卒業後という学資ローンでのんびり勉強したり遊んだりしているところへもってきて、彼は珍しく気合の入った男で、さまざまな仕事をこなしながら学生をやり、しかも3年4か月の最短期間でナショナルを出てしまった。
3年4か月のストレートで卒業するのは例年10人に1人以下の狭き門である。聞けば、家は貧しいどころかむしろかなり裕福な方で、学部時代にはローンを申請できるだけの成績も十分にあったという。それでも、多少きつくても自分でお金を稼ぎながら生活していた方が、今も先も、気が楽なのだそうである。
まあ、並とは少し違う男である。そしてやっぱり、当時から物の見方のいちいちが普通の学生とは違っていた。
インターンをやっていた頃のことである。
「その患者、ドクター××(大学のテクニックの教員)がこんなふうに治療してみるといいって言ってたわよ」と同僚に言われたK、
「ありがとう。でも、僕は××のことは信用していないから」などということを、しかも普通の顔でサラリと言ってのけてしまうのだ。そういう男だ。
で、そのKが何に悩んだというのか。今回は少々趣向を変えて、一アメリカ人D.C.のケースレポートである。
「哲学」死すべし
彼はかなりの腕利きだったから、インターンの時でもガンガン患者を治してしまう。指導教官が「今週3回、来週2回、さらに次の週にもう1回来させるようにしろ」と言っているのを無視して2、3回の治療で治してしまって勝手に患者をリリースしてしまう。「Kのミラクルキュア(奇蹟の治癒)」と、半分は敬意、半分はやっかみで、僕らは言ったものだった。
要するにメディカルな方針の治療が彼の信条だったわけだ。とにかく可能な限り早く治してしまう。治ったらハイさよなら。これこそ最高のコストエフェクティブネス(費用対効果)。これぞ自分が社会に貢献する道と、かたくなに信じてKは自らの診断能力と手技にますます磨きをかけた。
卒後、見習いドクターなんぞはやらないで、すぐに郷里で開業した。もちろん、なかなか繁盛した。彼のことであってみれば、繁盛しないわけがない。がその状態で1年もするとハタと行き当たってしまったという。儲からなくなったわけではない。むしろトントン拍子で仕事は伸びている。
メディカルな治寮方針(すぐ治す。治ったらサヨナラ)では、新患1人当たりから取れる治療費は少なくなる。それじゃ儲からないんで、カイロな治療方針(すぐには治さない。治ってもサヨナラさせない式)でいこう。これがよくある並のカイロプラクターではないだろうか。この事情は洋の東西を問わないようなところがある。
そういう意味で、メディカルな治療方針を指向するカイロプラクターの多くは壁にぶち当たることが多い。すぐに患者をリリースしてしまうので儲からない。でもって、そういうふうに壁に当たった人たちの多くが哲学に走りたがる。
“転ぶ”わけだ。
「××カイロクリニックへようこそ! 当院を選択していただいたことを喜ばしく思います。しかしながら(HOWEVER!)、私どもは症状を治療するのではありません。症状の原因を治療するのです。まあ説明させてください」
と、こんなふうに新患には話せ。と、あっちの開業盛業セミナーの多くでは教えられる。サブラクセーションが症状の原因でこれをやっつけないといけない。さもないといつかあなたはガンで死ぬ、心臓発作に見舞われる。だからやっぱりサブラクセーションをアジャストしなくちゃいけない。でもそれには少々時間がかかる。1回や2回じゃ難しいかもしれない。これが第1段階。
ああよかったですね、良くなりましたか。それじゃあもう、そうしばしば来ることもないです。でもまた背骨がズレてしまうかもしれないから、×週間に1回ぐらいは来てくださいね。これが第2段階。
Kが心から憎んだのが、これ式のプラクティス(業務)だった。
在学中、こういうことがあった。あるテクニックのクラスで担当の教官が、アメリカ医師会の某偉いさんが何かの式典でやったスピーチを紹介した。要するに、多くの人々の献身的な努力よって医学はここまで発達したというわけでめでたいめでたい、といったような内容のものなのだが、それに「……病気をコントロールする我々の技術は、今日、格段の進歩をみせ……」というくだりがあり、これをその教官は茶化したくて仕方がない。
本当のヘルスケア・プロバイダーなら、やるべきことは病気のコントロールではなくて健康(ヘルス)のコントロールだろうて。これぞカイロ哲学、これぞ医の王道というわけである。
ボーッと聞いている学生の中から、いきなりKが手も挙げずに発言する。
「その考え方は不遜であり、誤っていると考えます。病気にかかるもかからないも、それは人の自由です。病気にかかることが望ましくないことも、予防が望ましいことも自明ですが、にもかかわらず、誰にでもいわば予防を怠る自由があります。これはプライバシーの問題であって、医療の専門家といえども決して侵してはならないものです。よって、医療家はあくまで病気の処置の専門家にとどまるべきであり、予防を旨とするライフスタイルを患者に強要すべきではありません」
ウヒャー。頼むよK、そんなに角をたてないで。もっと、こう、和やかにいこうよ、和やかにさぁ。
教官は反論もできず、何かの気の利かない冗談で切り返したつもりになった(と見えた)きり引っ込んでしまった。
エステブの衝撃
「おもしろいんだよね。予防だ、メンテナンスケアだといっているカイロの手技っていうのは、その場の痛み止めとしては、うまく使えば非常によく効くんだけども、それ単独では肝心のはずの症状の再発予防には無力に近い。これは君も感じるはずだ」
「いやになったのは、同じ患者が同じ症状でしょっちゅう顔を出すことだね。そりゃ、同じやり方でやってやりゃあ楽になって喜んで帰るさ。だから楽といえば楽だね。保険も通しやすいし。でも、どうだい。楽しいか? そんな仕事が」
ウーム、聞き捨てならない。
「ウィリアム・エステブを読んだか?」
エステブは読んでいる(*1)。治療家ではないが、カイロ寄りのアメリカの評論家だ。
「感銘を受けたね。カイロプラクターたちよ、カイロ哲学を持てというんだがね、彼は。それだけだったら唾棄(だき)すべき論調だね。だがエステブはそこいらのカルトとはまったく違うぞ」
エステブの理想とするカイロ業とは「カイロ哲学」に基づく「長期的なドクター・患者関係」である。初期の集中治療によって症状を消退させたあとには、患者は定期的にメンテナンス(保守)もしくはプロフィラクシス(予防)に通うというタイプである。この、メディカルでないスタイルのドクター・患者関係を築き上げることこそ、医師が行うことのできない部分であって、これの励行こそがカイロの差別化につながり、カイロが最も有効に国民の健康に資する道であると説く。
それじゃいわゆる古き良きカイロ哲学の世界じゃないかということになってしまいそうだが、哲学派と称するカイロプラクターたちの多くとエステブの決定的な違いは「哲学」の中身にある。
エステブは、イネイトインテリジェンスや神経根圧迫説など、科学的根拠のないものは一切排除する。彼の本を読むと、これも読め、あれも読め、と研究書の目録が目白押しで、つまりは、しっかり勉強してみれば、本当の本当に月に1回でも2回でも定期的に症状のない患者にトリートメントを提供することで症状の再発防止に結びつくものはあるのだ。だからそういうものをやりなさい、ということだ。彼が薦める文献はカイロプラクターによって書かれたものはむしろ少なく、専門の研究者による論文をカイロ業務に援用するという形になっている。
で、そういうやり方で仕事をすると、いいことがたくさんあるよ、とエステブは言う。
まず第一に、患者がドクターに払う敬意の大きさが増す。
こんなイカす車が欲しいという人の欲求を実現して、次から次へといい車を作り続けるカーエンジニアのような職業に人々は大いなる敬意を抱く。これに反して、修理工という職業の方は、それがいかに専門的に高度な知識と技術を要するものであっても、概ね社会的に大した尊敬を集めることはないものだ。修理という作業は直して当たり前で、直らなけりゃ責められる、直っても時間がかかり過ぎればやっぱり文句を言われる。
「われわれはドクターで、マッサージセラピストじゃないんだからさ」
「僕が開業する前からウチの近くに評判の中国人の鍼灸師がいてね。這うようにして来た患者でも一発で立たしちゃうってんだよ。で、僕も自分自身そういう評判を受けたいと思って頑張ったもんだよ。実際、そのぐらいの評判はすぐに立ったがね」
「しかし、その先だよ、ヤスシ。同じ患者が2〜3か月もすりゃあ同じ原因の同じ症状をかかえてまたやってくるんだがね、その際のものの言い方さ、問題は。ドクター、いつものやつ頼むよ、だよ。ハンバーガー屋じゃなんだからさぁ」とK。
エステブの本で一番考えさせられたのは、「コーチたれ」という一貫した主張だという。
「ドクターはあくまで患者のコーチであり、患者こそがプレーヤーであることを患者にわからせなくてはならない」
「プレーヤーたちはコーチを尊敬するが、チーム付きのマッサージ師については感謝こそすれ決して尊敬はしない。なぜコーチだけが尊敬されるのか? もちろん、コーチという役目がそれに値するものだからだ」。
本物の予防の技術を身につけて、これを患者に指導できるようになれば、患者に対するドクターの関係は修理工ではなく、弁護士か税理士に近いものになる。患者はpatient(ペイシャント、耐え忍ぶ者)ではなく、client(クライアント、顧客)になる。ドクター・患者関係は永続的なものになり、これは長い目で見れば、プラクティスの拡大につながる。これが第二の「いいこと」。つまり儲かるということで、ここらへんはアメリカ人ならではの愛すべき単純明快さだ。
とにもかくにも、非科学的なことを何も言っていなくて、かつ、喜んで患者がお金を落としてゆき、かつ、それが本当に患者の健康に役立っていて、結果的に尊敬される。これがエステブ式だ。
「哲学」蘇るべし
そりゃあ、そんないい仕事があれば誰だってやってみたい。筆者だってやってみたい。
それをKは最近やっているのだという。試行錯誤の末に、彼はメディカルモデルのプラクティスを放棄して、エステブ式のカイロモデルを採用した。
「そりゃ、まだまだ改善の余地はあるさ。日が浅いからね、こっちの方向でやりはじめて。だけどね、実は一時はカイロプラクターになったこと自体に疑問を持ちはじめていたこともあるんだがね、今はカイロプラクターであって本当によかったと思ってるよ」
と、懐疑派のKをしてここまで言わせてしまっている、その治療のやり方って具体的にどういうのだ?
そこで彼がとりあえずファックスで紹介してくれたのが、ロビン・マッケンジーの2冊の著書(*2,*3)で、
「独特の検査法に基づいて症状の分類をしたあとは、その分類に応じたエクササイズを処方する。患者はエクササイズを在宅で行う。治療初期には集中的に通院させて、適切な助力を加えながらそのまま予後を観察する。助力というのはカイロアジャストメントであったり、予後に応じたエクササイズの修正であったりする。この方法の優れたところは何といってもまず症状の消退する迅速さであるが、それもさることながら、集中治療の完了する頃には患者が自ら自分の痛みをコントロールする術(すべ)を身につけているように仕組まれている点である」
と、丁寧に解説までつけてくれた。
ロビン・マッケンジーはニュージーランドの理学療法士で、Kが教えてくれた2冊はその治療法の集大成といわれている。マッケンジーメソッド、マッケンジーシステムなどと呼ばれる彼の方法は、現在、お膝下のニュージーランドやオーストラリアを中心に世界的な広がりを持つが、アメリカでは今一つウケが悪い。特にカイロプラクターたちの間に浸透しにくい。
理由は明らかで、コックステクニックと呼ばれるカイロの世界では非常に人気の高い治療法の考え方と真っ向から食い違ってしまうからである。
例えば腰痛に関して、マッケンジーはほとんどの場合、腰椎を伸展方向に動かして治療しようとするのに対して、コックスは屈曲を奨励する。伸展派と屈曲派というわけだ。
「いやね、ぼく個人は伸展派だよ。だからその点でもコックスは好きではないんだが、でも重要なのはむしろそこではないんだ。患者にセルフコントロールの技術を教えるという側面はコックスにはない。ないこともないんだろうけど、マッケンジーに比べればないに等しい。この分野では圧倒的にマッケンジーに分がある」
あえてウケの悪いメソッドを取り入れて仕事をするあたりが、筆者にいわせれば、いかにもK的だが、ひとつ気になることがある。自分で症状の再発を予防したり治してしまったりというありがたい技術を教えてくれるのだから、患者がドクターを尊敬するようになるというのは、さもありなん、よくわかるのだが、それで患者がドクターから独立してしまったら、現実的には儲かるどころではない、商売あがったりではないか。ほんとうにエステブが言うみたいになるの?
「紹介が最高の宣伝なのは認めるだろう!? こういうやり方で仕事をしていると紹介は飛躍的に増える。メディカルモデルで、どんなに短期間で痛みを取り去ってやっても、それだけでは患者は必ずしも知人を紹介してきたりはしないものだ。向こうがこっちの専門的技術と知識に対して敬意を抱く形での人間関係ができていないと、紹介には結びつきにくいものなんだ」
「それに、どうしても患者自身ではコントロールできない部分というのは必ず出てくる。そういうことになった場合、自分でひととおりの痛みをコントロールできるようになった患者の方がその症状の重篤さをよく認識するから、痛みが消えた段階で患者が完全にドクターから離れてしまうということはむしろ少なくなる」
今や、あのKは自他ともに認めるカイロ哲学の普及活動家だ。
こういう哲学もある。
追記:ドクターKは本当にKだからKとしました。NOMOとは一切関係ありません、念のため。
*1 Esteb W,My Report of Findings,Orion Associates,1993.
*2 Mckenzie R A,The lumber spine. Mechanical diagnosis and therapy. Spinal publications, Waikanae, New Zealand, 1981
*3 McKenzie R A,The cervical and thorasic spine. Mechanical diagnosis and therapy. Spinal publications, Waikanae, New Zealand, 1990