“秘楽(ひぎょう)”

毎度のことながらフザけたタイトルで、編集部には心苦しく思っている。しかしそう言うそばから、今回はまたとびきり苦しいタイトリングになってしまった。それでもまだ本コラムにやめろという声はそう大きくなってはいないそうであるから、それは、もう少しこの調子で続けさせていただいてもよいということであろうか。ありがたいことである。

 本当に「背信行為」か

 ナショナル・カイロプラクティック大から定期的に送られてくる『ALUMNUS』という同窓会誌があり、同誌中に学長のジェームス・ウインタスタインが直々に連載しているコラムがある。その名も「“As I See It(私に言わせてもらえば)”」。昨年秋号の『ALUMNUS』では、学長先生、のっけから以下のごとく怒ってみせた。
 「最近のカイロ関係のいくつかの刊行物上において、『同業者の一部が我々の秘密を人にくれてやってしまっている』『けしからんことだ』というトーンの記事が目に余るようになった。が、“私に言わせてもらえば”そういうことを言う連中の方こそ、けしからん」
 こういうことである。
 ジョン・トリアノやジム・コックスなどのカイロプラククーたちが、ここのところ多くのセミナーや勉強会などで医師たちにカイロプラクティックの手技を教えている。それを見るにつけ、一部のカイロプラクターたちが言っているわけである。「医者たちがカイロプラクティック手技をおぼえてしまったら、我々の仕事が苦しくなるではないか。なんだってそんな自分の首を絞めるような真似を」、あるいは「我々が長年にわたって苦労して培ってきた技術の奥義を、そう軽々と医者にくれてやるとは。業界に対する背信行為である」など、まあ、そういったようなことである。
 ジョン・トリアノは理学博士号をもつD.C.であり、現在テキサス腰痛研究所というところで医師や物理療法士などと協力して腰痛の研究を行なっている。昨年、米国政府の肝煎りで出た『腰痛ガイドライン』の作成にも深く関わっている。名目上はナショナル大の教授ということにもなっているようだが、現実には彼から授業を受けることはおろか、彼の御姿(おんすがた)をキャンパスで見かけることすら稀れな出来事の部類に属する。
 エライ人ほど、そうおいそれと学生なんぞの目の前には出てこないものであり、その意味ではキャンパスで一番“見えない”人物はやはり学長である。卒業式と入学式以外で筆者がウインタスタインの姿をこの目で見たのは3年あまりの在学中でたったの2度だった。あるご老齢の解剖の先生が朝寝坊して、学生たちが解剖実習室に入れなくなった時に、学校中のドアというドアのカギすべてを集めたというマスターキーの塊をジャラジャラいわせて登場したのが1度目。近所のスーパーマーケットでトマトを手にして奥さんと何やら言い争っているのをたまたま目撃したのが2度目である。その学長ほどではないのかもしれないが、やはりトリアノ教授も非常に偉い人なわけである。ちなみに彼は今年のカイロプラクティック世界大会(東京で開催)にも演者として来日する。

“秘密を売っている”

 一定期間の訓練によって医学生もしくは医者が、臨床に堪えるレベルにまでカイロプラクティック手技をマスターできるかどうか、という研究をアメリカのティモシー・キャリーという医学者がやっていて、トリアノ先生はそれに協力をしている。当然、これこれこういうテクニックがあって、このぐらいの時間をかけて練習して、こういうテクニックもあるけれども、これの方は現実には必要なくて、などという話になる。何が必要で何が不必要、不必要というのであればそれはどうして、というように、カイロプラクティック手技の総おさらいの作業になる。
 で、これが一部のカイロプラクターたちは気にくわないわけである。いわく、彼は「秘密を売っている」。
 コックスは、いわずとしれたコックス・テクニックのコックスである。コックス・テクニックを行うためのテーブルいわゆるコックス・テーブルの原型はもともとオステオパシーの専用テーブルであり、一昔前はD.C.には売ってさえくれなかった代物である。まあそれはどうでもよいのだが、そんなこともあってコックスとオステオパシー界のつながりには浅からぬものがある。オステオパスがコックスのセミナーに出ていたとしてもおかしくはない。アメリカではオステオパスは医師と同等だから、そんなオステオパスが医者を連れてコックスの話を聞きに来ていたとしても、やはりおかしくない。ましてやコックス先生のこと、アメリカはもとより世界中でコックス・テクニックのセミナーを開いている。医学関係の文献に彼の名前が出ることだって珍しいことではない。
 が、やはりこいつも「秘密を売っている」ということになってしまう。秘密は内緒にしておくからこそ秘密なんだから、ちゃんと内緒にしておいてくれなきゃあ。ダメだよ、そういう抜け駆けは。また妙な上昇志向を出して、医者に気に入られようとしちゃってさ。
 人が何か目的をもって集まれば、その中に必ず保守派と革新派とができる。今あるものを守ろうとするのが前者であり、新しい何かを開拓しようとするのが後者である。上の愚痴は、保守派の人々の革新派へ向けてのそれであり、どこの社会、どこの家庭にもあるものである。お互いにどうしても譲れないし、譲れないからこその派分けである。そして“革新”の最たる位置にいると見なされているウインタスタインとしても、ここでは逆襲を打たないわけにはいかないのである。
 まず、医者に秘密を売っている、という非難について。
 「秘密、秘密というが、そもそもそんなものがどこにあるというのか!」
 カイロプラクティックの学校に直接行って、みずからD.C.に習わなければ憶えられないテクニック、奥義など存在しない。もちろん、カイロプラクティック大に通う学生は手技のマスターだけで平均して1000時間以上をかける。それだけ大変な技術ではある。が、それだけでありそれ以上ではない。医師であろうが歯科医であろうがオステオパスであろうが、まったく問題なくカイロプラクティック手技をマスターできるはずであり、それは我々にとって喜ばしいことである。我々が彼らから学んだように、彼らが我々から今、学んでいるのである。要するに、カイロプラクターのみがカイロプラクティック手技を行う者であるという固定観念そのものがナンセンスである。

 医師が真似ても所詮は医師

 次に、医師に仕事を奪われてしまう、という懸念について。
 「そういうことを言っているカイロプラクターは、本当のカイロプラクティックをやっていないのだ!」
 カイロプラクティック業務においてカイロプラクティック手技は一つのカギかもしれないが、決してカイロプラクティック手技のみがカイロプラクティックのすべてではない。カイロプラクティックを実践するということは、とりもなおさず、人の体は本来自分で自分を治すものであるという思想を実践するということである。不必要な手術を患者に思いとどまらせる役割、薬物を濫用しないよう患者に仕向ける役割、適切な運動を処方する役割、栄養上のアドバイスを与える役割等々が、その思想の実践の例である。そのようなこと、つまり医師ができないこと、あるいはやりにくいことをやるのが我々の仕事である。医師が我々の手技を完璧に真似たとしても、決して彼はそれのみをもってカイロプラクターになるのではない。
 ウインタスタイン学長は現在、ナショナル大で2学期の学生向けの基礎講座を受け持っており、いつも学生にある質問をすることからその講義を始めるのだそうだ。その質問とは、副鼻腔炎はいかにして起こるか、である。粘膜の器質的変化により分泌物が増し、血行が悪くなり、繊毛運動が阻害され、結果としてバクテリアがここに繁殖する。これが答えである。よくできました。そして次の質問。ではそれはどう治療すべきか。バクテリアが原因なのであるからこれを抗生物質で殺せばよい。医学生であればこれが正解である。
 が、我々カイロプラクターは、違う目でこれを見る。副鼻腔炎の原因は、バクテリアの侵入を許したさまざまな要因の組み合わせである。分泌物の流れをいかに改善すべきか。血行をいかに改善すべきか。サブラクセーションが果たす役割は。分泌物の粘度を何とか変化させることはできないであろうか。室内の湿度は、その他の方法は…。

 さすが大立者、か

 アメとムチといおうか、毒をもって毒を制すといおうか、さすがは学長である、と久しぶりに膝を打たせていただいた。秘密などない!と、言われた方としてはまともな反論もできそうにない一喝を投げつけておいて、すかさず今度は相手の懐に飛び込み、いわゆるカイロプラクティック哲学を持ち上げて終わるあたり、並みの熟練でできるものではない。
 それにしても、久しぶりに何かホンワカした暖かい気分になります、こういう話って。いや、いいお話でした、と言いたくなるような。ここしばらくドボルザークやらキャシディやら、今度の世界大会に来日する演者たちの書いたものをパラパラとやることが多かった、その後だからだろう。ゲートコントロールもいいし、体性自律神経反射も面白い。しっかり葉を見つめ、葉脈を観察することは言うまでもなく大切なことである。
 が、たまに少し後ろに下がって腰をおろし、木を眺め直すのはまた格段に楽しい。