治療中の事故などは誰でもやりたくはない。ましてやいまだに日本の国家資格を何も取らずに仕事をしている筆者などは、事故なんてジの字も見たくも聞きたくもない。が、1991年に出された厚生省の「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究」(いわゆる三浦レポート)には、カイロプラクティック(以下カイロと略)手技の施術によって生じたと考えられる症例(“積極的障害A群”)45例中、脊髄・馬尾損傷が15例も含まれている。
いずれも重篤な症状を呈すべき障害であり、手技の施術との因果関係が真に明らかであるのであれば大きな問題である。が、これらのケースのいずれとも、適切な手順を踏んだ診断などによってその因果関係が立証されているわけではない。
例えば、もともと腰が痛かったという人がカイロ治療を受け、不幸にもその後に痛みが増したとする。あるいは全然よくならないのでカイロに見切りをつけたとする。そして病院に駆け込んだとする。脊髄損傷があったとする。とするとこれは、たちまちに、カイ手技が脊髄損傷を引き起こしたケースとして認定されてしまうかもしれない。
しかし実のところは、この脊髄凍傷が何によって引き起こされたかは、事後的には誰にも分かるものではない。もともとあった軽度な脊髄損傷がカイロ手技によって悪化したものかもしれない。この場合、ふつうの生活をしていたとしても結局は悪化せざるをえないほどの重度の損傷であったかもしれないし、あるいはカイロなど受けなければ悪化はしなかったであろう軽度の損傷であったかもしれない。またあるいは、本当の本当にカイロ手技が完全に正常な脊髄を損傷させたのかもしれない。しかしまたあるいは、カイロの施術は脊髄の損傷にまったく何の影響も及ぼしておらず、以前から存在した損傷がそのまま施術後になって発見されたというだけ、かもしれない。
とりあえず思いつくだけで上のような幾通りかの可能性がある。が、真実の追求はきわめて困難である。患者主観的な訴えの変化は、ある程度の目安とはなっても、必ずしも信頼に足るものではない。また、脊髄・馬尾損傷などの場合、生検によって障害の古さを確認するなどということも、ふつうはできない。
鈴木裕視先生は、「脊柱への徒手力学的操作でこれほど高率の器質的損傷を起こしうるであろうか」(l)と直な疑問を呈しておられる。個人的には筆者もこれに同感である。しかし、こんなところでいくら自分の経験を語り、持論を展開してみても詮無いことだ月結局は水かけ論(「そういうことは考えられない」「いや有り得る」)にしかならない。
あーあ、と思っていたところ、ちょっと面白いモノを呼んだ。脊椎手技療法によって引き起こされる障害の過大報告の危険性:障害を引き起こしたものとして報告されそうになったケースについての観明」(2)というものだが、タイトルが長すぎるので以下は危険性』論文と略そう。
騒がなさすぎと騒ぎすぎ
『危険性』論文では過大報告(オーバーリボーティング)と過小報告(アンダーリボーティング)ということが語られている。ある特定の物事が話題となる場合、初期においてはそれは過小報告されがちであり、その物事が世間に浸透してくるにしたがって、やがていつか過大報告されがちな時期を迎える、というわけなのだが、つまりはこういうことだ。
別れた女に未練を残して、あるいは親しくもない女に一方的に熱を上げて、そういうような状況で女性につきまとう男なんぞは、人の歴史とともに常にゴマンと存在した。筆者だって多少はやった記憶がある。もちろん、つきまとわれる側からすればこれは迷惑かつイヤな話。イヤな経験については、触れずにおけるものであるならば、なるべく触れずにすまそうとするのも人の情の常。多少不愉快な思いをしても、場合によると思いっきり人権を侵害されたとしても、「ううん、別になんでもないの」などということで終わってしまったりする。
と、そんなようなわけで、いわゆる「ストーカー」つまりは「つきまとう男時に女」」は、ごく最近までその実態よりも小さな話題としてしか人々の言の葉にはのぼらなかった。これがストーカーの長くて幸福な過小報告の時代。
ところが平和な世の中が続き、女性の人権意識がやや高まり、それに対応して新しい言葉が作られ、さらに本などが出て売れたり、テレビで取り上げられちゃったり、というこになるとすると、ことが一変する。ここでストーカーにあった、あそこでストーカーを見た、あたしもオレもと、敷か月前だったらあまりにありふれていて話題にもならなかったであろう程度のネタが立派な応ストーカー話(ばなし)”として通り始める。
結果、今度は、ストーカーという生き物が、その実腰以上に世間にウヨウヨしていて、かつ悪質な存在であるような、そういう気分に世の中全体がなんとなくなってくる。これ、ストーカーの一過大報告の時代、まさに今日ただいまの日本とアメリカですな。
カイロの過大報告時代
『危険性』論文によると、「いまのデンマークはカイロの過大報告時代にある」と感じている(著者はデンマークのカイロプラクター)。カイロの施術にともなう事故などは稀れであり、それは各国のさまざまな研究によって基づけられている。が、そのような事故は、不幸にして起こってしまった場合には、しばしば悲劇的であり、マスメディア視聴者の同情をそそる効果は高い。またカイロプラクターは、彼の地でも正当な医療の砕からはややはみ出した存在であり、いわば、いじめやすい相手でもある。ここらへんの事情は、世界中のどこへ行っても似たり寄ったりなのだろうと思う。
まだ本格的とはいえないまでも、日本においてもカイロの過大報告的扱いは、一般の人のおしゃべりや一部のマスコミなど、あちこちに既に見られるし、これからもまだこの傾向は強まるだろうと筆者は確信している。時期的にちょうどそういう頃合いなのだ、この業界は、と思っている。
別に誰と競合するわけでもなく、世間的に誰にも大して相手にもされなかった、と、そういうような時代から既に日本のカイロは明らかに脱却している。かといって、カイロプラクターとは誰もが知っている身近な職業かというと、そういうわけでもない。いまだに何らの国家的な認定すらない状態である。
筆者は、娘の保育園の集まりに出て行って人に紹介されたりするのは、はっきりいって面倒でイヤである。なまじっか誰も知らないような仕事(例えば脳機能学者!)であれば、誰に対してでも「私はかくかくしかじかのようなことをやる者でして」と鋭明すればよいのだからむしろ楽かもしれない。ハナから偏見をもつ人もいないから、みんな言ったとおりを開いてくれるだろう。
しかし、カイロの場合、そう簡単にはいかない。カイロという言葉を知っている人と知らない人がいて、また知っている人の間でもその内容の理解の仕方がまちまちであったりする。そりゃ無理もない。こっちのやっていることがまちまちなのだから。で、自分の正体について説明すべきなのか、すべきでないのか。するのであればどの程度すべきなのか。小さな気苦労ではあるが、これが常につきまとう。面倒臭いことである。
『危険性』論文にもどろう。実はここからがコワいのである。実際にはカイロの施術とはまったく関係ないところで体がオカしかった患者さんがいて、カイロ治療を受けようが受けまいが倒れる運命であった。にもかかわらず、ひょっとするとそれがカイロ治療のせいで倒れたと判断されかねなかったというケース。わかりますか?要するにニアミスのケースレポートが連発される。
本当にあったこわい話
ケース1−
49歳の男性。日曜の朝に首の痛みに気づく。決して激しい痛みではなく、一方向への首の回旋がやや困難である程度。頚椎の痛みにつながるような既往症はなし。カイロプラクターの予約を取ろうとするが日曜で休診のために、これを果たせず。午後になって首の痛みは非常に激しくなり、夜までには痛みは腕にまで達した。さらにこの患者は、月曜の朝には同側の上肢および下肢が麻痺していた。CTスキャンによると、非常に大きなC3−4の椎間板ヘルニアが見つかった。
ケース2−
40歳の男性。めまい、吐き気、首の痛みなどを訴える。医師によってなされたCTスキャンでは何ら異常を発見できず。患者は平常どおり仕事を継続したが、以後2週間にわたって症状はまったく改善しなかったため、カイロ治寮を受けることを決め、予約を取った。しかし、予約時間の20分前になってこの患者は職場で脳卒中で死亡する。
ケース3−
60歳ぐらいの女性。頭痛のため、夫に付き添われてカイロ・クリニックに初めて来院した。更衣室で着替えているとき、上衣を脱ごうとした拍子に気分が悪くなり、昏倒する。総合病院に運ばれたところ、脳底動脈瘡破裂で即座に手術となった。
ケース4−
とあるカイロプラクターが、とある忙しいクリニックで、臨時のドクターとして2週間ほど働いた。患者にも手続きにも慣れないせいで仕事に手間取り、患者を待たせがちであった。ある患者を治療中に、彼は隣の治療部屋で何かものが落ちるような音を聞いた。これが彼の次の患者(中年の男性)であり、この者はその場で脳卒中で死亡した。
ケース5−
40歳ぐらいの男性。速駆けの乗馬中に振り落とされ、石の壁に叩きつけられる。上部腰椎痛の治療でカイロプラクターを訪れる。後に患者は仕事中に両側坐骨神経痛様の症状を呈しカイロプラクタ一に電話をしてくる。カイロプラクターは椎間板障害の可能性を考え、患者に安静を指示。が、2回目の治療にはこの患者は姿をみせなかった。あとで仕事が忙しくて来院できなくなった旨を彼の奥さんが連絡してくる。ところが、もともとの予約時刻の30分後、特に何もせずにいる状態でこの患者は両下肢に力が入らなくなるのを感じ、まもなくそれは完全な感覚マヒとなった。病院の神経科においての診断は馬尾症候群であった。
ケース6一
心臓病の既往がある年配の女性。カイロ・クリニックの入口に続く5段の階段を登り切った直後に待合室で昏倒する。救急車が呼ばれ、同時にクリニックのスタッフ(パラメディカル)による蘇生法が試みられたが、この患者はまもなくその場で死亡した。責任者のカイロプラククーは警察に呼ばれ詳しく調書を取られたが、患者が治療後ではなく治療前に倒れたという他の患者やスタッフによる証言が決め手になり、法的な責任は追及されなかった。
あわてず騒がず罵らず
あー、こわい。これらは皆、本当の話。ノルウェーおよびデンマークのカイロプラクターたちによって近年に報告された“あぶなかった”ケースの一部である。
もし日曜に治療をやっていたら(ケース1)、予約時間がもう30分早かったら(ケース2)、ドクターがもうちょっとでもスケジュールを前倒しにしていたら(ケース3)、あるいは時間どおりに仕事をこなしていたとしたら(ケース4)、患者が予約を守っていたら(ケース5)、いずれの場合もほぼ間違いなく、これらの思考の容体の急変はカイロ治療のせいというとになってしまっていたであろう。
また、ケース6は目撃者というものの重要性を示唆している。待合室に誰もいなかったら、スタッフなしで一人で仕事をしているドクターだったら、いくら自分が手を触れる前に患者は倒れたのだと言い張っても、このドクターは法的にきわめて不利な立場に立たざをえないであろう。
これらいずれのケースとも、医療過誤のニアミスケースであると同時に、過大報告のニアミスケースでもある。いかにも、それみたことかとカイロを叩くネタとして世間で使われそうなものばかりがそろっている。
さて、三浦レポートはもともと純然たる学術論文たることを標模して出されたものではない。外科学合の有識者による参考意見の緩まとめとでも位置づけられるべきものである。同レポートに対する批判もCCJ(日本カイロプラクティック評議会)などによって既に相当程度行われている。だから筆者としては今さらこれにあまり突っ込む気はない。
が、この過大報告という問題。医療のみならず多くの分野に当てはまる現象。三浦レポートの読み方のコツのもう一つとして、読者の頭脳ライブラリーに加えていただければ、と思う。同レポート中でカイロ治療の責めに帰されている障害の中には、ここに紹介したニアミス例の類いが紛れ込んでいないと、誰断言できるのであろうか。
(文献)
(1)鈴木裕視:試論「換体カイロ」の和痛機序と症例,マニピュレーション症例報告集,エンタブライズ,1994
(2)Leboeuf Yde et al・0ver−Reporting of SMT一InducedInjuries・JManipulative PbysioITher1996;19:536−8