筆者のキャシデイーとの対談はもう読んでいただいたであろうか。編集部の意向としては、『米国のカイロ最前線』の方は対談の内容とは別のテーマでまとめてくれ、とのことである。同じような話が複数のコラムで重複して書かれているのでは、それはもちろんよろしくないでしょう。わかりました、ハイ、そうします。
が、とはいえ、あの対談もボクはそれなりに頑張ってやったんである。せっかくの機会に、いまさら別人のような顔をして縁もゆかりもない話をする気にもならない。そこで、一見全然別のテーマのようでありながら実は根っこはつながっているという、まるでだまし絵みたいなお話を今回はひとつ。JMPTに今年の2月に掲載された「頚椎サブラクセーションと大脳への血流」という論文(以下「大脳血流」論文と略)を紹介します(*1)。
日本在住のカナダ人ブライアン・バジェルDCと東京都老人総合研究所の佐藤昭夫博士との共同研究である。舶来品ばかりがハバをきかせる時代は終わって久しい。なにも「米国」ばかりが“最前線”ではない。でもまあ、しかしこれは米国の学術紙にまず載ったわけだから、その意味ではアチラ発。よって当コラムの看板にも偽りなし。カンペキだ。
頚椎サブラクセーションは椎骨動脈を圧迫するか
かすみ目には首のカイロプラクティック・アジャストメントが効く、などという。実際に効くように見えたりもする。視力低下、視野のせばまり、めまい、倦怠感、イライラ、不眠、心理的な混乱、鬱、手足がうまく動かない、など(おお、これらはまさしく筆者が学生時代、試験期間中に呈した諸症状細大漏らさずそのままではないか)。そういった症状すべてに効く、などともいう。誰がいうのかといと、Terrettという人あたりが米国で声を大きくして言っているらしい。
彼の言い分は、国の日米を問わず、カイロプラクティックの臨床家大多数の常識あるいは一般的な気分を代弁しているもののように見える。いわく、以下のごとくである。
頚椎のサブラクセーションすなわち亜脱臼は当然、椎骨動脈を横方向に引っ張る。引っ張られれば血の通りが悪くなる、悪くなれば脳に血が行かなくなる、脳に血が行かなくなれば行かなくなったその部分が機能障害を起こす。かくしてこの脳の機能障害が、上に挙げたような現代人を悩ませる様々な症状を引き起こす。情動を司る部分の血行が悪くなればイライラしたりするだろうし、視覚を処理する部分がおかしくなれば目もかすむし視野もせばまろう。
脳への血流が遮断されるか、それに近い状態になれば、脳は部分的に壊死してしまいます。すなわち脳梗塞ですね。Terrettによれば脳梗塞にいたる手前の段階でいて、かつ正常ではない状態、というのが脳にはあって、これを「脳の冬眠状態(cerebral hibernation)」と呼ぶわけです。
さて治療法は? 元を断つにはカイロプラクティック・アジャストメント以外にありません、とそういうことにやはりなります。亜脱白と上のような諸症状との間に、そういう因果関係が本当にあるのであれば。
で「大脳血流」論文(なにか怪しげなタイトルになってしまった)は問う。本当にあるのか、そういう因果関係は。そして答える。「ノー」。
椎骨動脈なんぼのもの
現実的には、椎骨動脈の圧迫は大脳を「冬眠」させるほどの血行障害を起こし得ないのだ。
まず大脳への血液の供給システムには、ウィリス輪という巧妙な仕掛けがしてある。脳底動脈および頚動脈は一度このウィリス輪という血管のロータリーに接続し、それぞれの動脈からの血流はここでいったんいっしょくたになる。どの方向から来た血でも、どの方向へも行ける、まさにロータリー道路と同じ原理。「ここ右折できないんだ」などということにはならない。
仮にいずれかの動脈に異常が生じた場合でも、他の動脈さえ生きていれば脳は助かるようにできている。ナナメに構えた人でも神様の存在を一寸信じてしまいそうになるような、実にうまく作られたシステムである。椎骨動脈からの血流の減少分は、頚動脈からの血流によって十分補填されてしまうのだ。
また、脳内の血管は血流が減少するとたちまちにして拡張して、どんどん血の流れをよくしょうとする。これは内分泌系、神経系を介した脳の血液供給の自動制御機能である。
さらに、椎骨動脈は脳に送られる血液全体の10%から20%ほどを供給するに過ぎない。完全に遮断されるなどということにでもならない限り、椎骨動脈の圧迫が脳への血流に影響を及ぼすということは考えにくい。
ラットの脳底動脈を薬品を使って収縮させる実験では、動脈の径を47%減らしても大脳への血流は実質的に何らの影響も受けなかったという。47%というとざっと半分である。椎骨動脈を半分以上もクビチョンパしてしまうような椎骨の亜脱臼なんて、もしあったらスゴイだろう。見て、いや触ってみたいと思う。
しかしながら、なにも脳への血流障害およびそれに伴う症状というものが世の中に存在しないというわけではないのだ。
実のところ、もともと脳への血流システムには先天的な発育不全が比較的多く見られる。何をもって発育不全とみなすかにもよるが、全人口の10%から20%ほどが椎骨・脳底動脈もしくはウィリス輪に何らかの発育不全、つまり生まれつき血管が細いという現象をもっている。椎骨動脈の発育不全による、かすみ目などに代表される不定愁訴はズバリ「椎骨動脈症候群」と呼ばれている。が、当然にこれは手技療法的に整復できるスジのものではない。
神経系、内分泌系などの異常によって、脳への血流の自動制御が狂ってしまうということも、これはこれでありうる。偏頭痛のあのズキズキと脈を打つような痛みは脳内の血管の異常拡張によるもので、血流の制御異常の一種である。がしかし、これとても既に、椎骨の亜脱臼によって椎骨動脈が圧迫されて血流が阻害されて……、という病理モデルとは別次元の世界に入ってしまっている。
ズレてもなおせない
さらにもうひとつ。よし椎骨が本当に亜脱臼を起こしている場合でも、つまりズレちゃってる場合でも、それを手技療法的に整復するということ自体がそもそも可能であるのか。これはこんにち可能でないということに落ち着いている。
アレッ、そうなの? そういうふうに落ち着いちゃっているの? とあわててみたくもなろうところだが、「大脳血流」論文はこれをあっさり言い切ってしまっている。クダクダ言わない。もちろん出典付きだから、文句があったらそっちを読んで、という姿勢。
思うにバジェル氏も佐藤氏も、その頭の中では既にそんなこと当たり前で、これについてどうのこうの言うのは大人げない、という達観にトウの昔に行き着いておいでのよう、であるように筆者には見える。ズルい、じゃないですか。と少し思う。こっちは一応真面目な顔して、
「はたしてそういうことはあるのですか」
「いえ、それはないと思います」
「あ、やっぱりそうだったんですか!」
などとやって、しかも堂々と写真入りで、それを対談記事などとして人様の面前に供しているのだから。
まとめ
かくして頚椎サブラクセーションによって椎骨動脈が圧迫を受け、血流の減少による大脳の機能不全が起き、さまざまな症状として結実し、というモデルはきわめて旗色が悪い。
よほどのこと、つまりは椎骨動脈が完全にツブれるか、百歩ゆずってもその径が50%以上せばめられるような事態でなければ、大脳機能は何らの影響をも受けそうにない。またそのような事態は、骨のズレなどによっては招来しそうにない。血管の先天的な発育不全かホントの病気(神経系、内分泌系)などという条件が積もり積もるのでもない限りむずかしい。
ましてや、思い切って二千歩ほどもゆずって、骨のズレによって脊椎動脈の圧迫が脳に影響を及ぼすほどに進んだとしても、仮にそうだったとしても、ズレた骨、亜脱臼した椎骨を手技療法的に整復することはどのみちできない、ことになっている。と、このようにまとめてみると、二重三重に張り巡らされた「否」の包囲網。これはもう出口なし、入口もなしの、しごくやりきれない純文学的末路、いや結論だ。
しかしそのくじけかけた気分を少しでも支え直そうとするかのように、「さらなる研究が必要である」という「そう気を落とさないで頑張りましょう」とほとんど同義のフレーズをもって本論文も終わる。さらなる研究が必要、つまり“Further research is warranted”とか
“Additional mechanism should be sought”とかはカイロプラクティック関係の研究論文のエンディングとしは、ほとんど常套句になっている感すらある。前進しよう、という気持ちのあらわれと見れば……いいではないですか。
(*1)Budgell B,Sato A.The Cervical Subluxation and Regional Cerebral Blood Flow. J Manipulative Physiol Ther 1997; 20:103-107