といいつつ今回はスウェーデンの話
カイロプラクティック・イン・スウェーデン
従業員、弟子、アシスタント、ウチのヤツ。何と呼んでもよいが、とにかく治療院で学びながら働く若い(たいていは)人たちに対して、ボスたる治療家はどのような態度で臨むべきか。経営者たるもの、誰しも悩むところであろう。え? そうでもない。別に悩みもしない。いえいえ、そんなこと言わずに、ここはひとつぜひ悩んでいただきたいのです。スウェーデン在住のへイカン・シーグレルD.C.『カイロプラクターの指導:試論』を紹介してみましよう(*1)。
スウェーデンは過去10年ほどの間に大きな医療システムの改革を行い、その一環として1989年にはカイロプラクターをプライマリー・ケア・フィジシャンとして国家資格化した。英米のカイロプラクティック大学を卒業している者は国内での1年間の卒後研修を受けた後に、国家試験にパスすることによって、お上認定のカイロプラクティック・ドクターとして仕事ができることになった。医師などの他の医療職に対して紹介状を書くことや、自らレントゲンを撮ることなどはできない反面、一般的な診断権をもち、一定範囲内での保険請求もできる。一方、いわゆるノンD.C.の開業者は、quackery-1aw(擬似医療規制法)と呼ばれる法律に基づいて、さらに制限の大きい条件下のみでの営業が認められている。先の国家資格をとるためにD.C.に課せられる研修は、半年は病院の主に整形外科で、もう半年はすでにカイロプラクターとして開業する者のもとで行われる。
病院の整形外科で経験を積むことができるなどというのは、本場とされているアメリカではむしろできない芸当であり、進んだシステムであるといえる。同じカイロプラクティック後発国として、同様のことが本邦でもできるであろうか、という議論になれば、しかし、その可能性はゼロに近いだろう。アメリから帰ってきたばかりのD.C.が日本の病院で仕事らしい仕事をするのは困難であると思われる。
が、一定の基準を満たす治療院において下働きすることを義務づけるという方法のほうは、使えるのではなかろうか。少なくとも若いカイロプラクターが独りよがりの、妙な治療のクセを身につけて世に放たれることを予防する一助にはなろう。ちなみに、スウェーデンにおける「一定の基準」とは基本的には、(1)経営者がスウェーデンの国家認定を受けたカイロプラクターであること、および(2)5年以上の開業歴があることである。
カイロプラクターを育てるには
そのスウェーデンで、研修生を受け入れたことのあるカイロプラクターに対するアンケートが行われた。良いカイロプラクターを育てるには何が大切であると考えるか、がテーマである。まず以下のリストの各々の項目に点数をつけてもらい、重要であると思われる順にこれらを並べ換えるのである。
・学術論文を与え、読ませる
・レントゲン写真を与え、分析させる
・ミーティングを定期的に行う
・見て憶えさせる
・やらせてみて、監督する
・テクニックの講習会を定期的に行う
・カイロプラクティックについて人前で話す機会を与える
・臨床例を報告させ、検討する
・カイロプラクティック哲学について教える
・治療院経営について教える
以上は、回答者たちに配られた質問状のとおりの順番である。日本で同様なアンケートを行なった場合、どうなるのだろうか。もちろん、日本とスウェーデンとでは国民性も環境も違う。本アンケートは、とりあえずは学位(D.C.)既得者に対する研修についてのものであり、かつ期間的にも半年に限られたものについてである。日本における「弟子をとる」感覚下での研修者−監督者関係とは勝手が異なる。しかしなおかつ、それを承知で「自分だったら」ということでこのアンケートに答えてみるのは、やはりおしろい。読者ならこれらの項目をどのように並べ換えるであろうか。スウェーデンにおける実際の回答を集計し、点数の高い順にならべると以下のようになる。
・ミーティングを定期的に行う
・臨床例を報告させ、検討する
・治療院経営について教える
・学術論文を与え、読ませる
・レントゲン写真を与え、分析させる
・見て憶えさせる
・テクニックの講習会を定期的に行う
・やらせてみて、監督する
・カイロプラクティック哲学について教える
・カイロプラクティックについて人前で話す機会を与える
スウェーデンにおいては、若い人を育てる上で重要視されていることは、密な人間関係の構築と維持であると考えられているようである。上のアンケート結果の上位を占める項目はすべて、研修者と監督者とが顔を突き合わせるようにしなければ行い得ない作業である。これに対して、下位の項目に限って、監督者側からの一方通行でも事足りるものばかりになってくる。
良い教育とは1対1の人間関係かち生まれる、という信念はヨーロッパに強く見られる根強い伝統である。画一性を嫌うからこそ、独創も生まれやすい。そういった中から、ノーベル賞をとるような人も生まれてきやすいのであろう。
日本ではさしずめ……
さて、しかしながら、このスウェーデン式が日本でもうまく機能するだろうかということになると、ボクなどは考え込まざるをえないのである。日本であったなら、さしずめ「見で憶えさせる」「やらせてみて、監督する」あたりはもっと高い位置を確保するであろう。また「学術論文を与え、読ませる」などははるかにランクを下げるだろうし、「ミーティングを定期的に行う」「臨床例を報告させ、検討する」なども1番2番人気というわけにはいかないだろう、と思う。
なんといっても我が国は職人芸の国、武士道の国、不立文字の国、「習うより慣れろ」の国である。我々は、面と向かってチマチマと教えられるよりも、どんどん仕事をこなしていってしまう師の背中を見ながらフーフーいいながら、時にはブーブーともいいながら成長してゆく方が性に合っているのではないだろうか、などと勝手に思う。
少なくともポクが研修生だったなら、ミーティングやら症例の検討会やらをまめまめしく開いてくれる先生よも、圧倒的な治寮技術で次から次へと患者さんを治していってしまうのを日々見せつけてくれる先生の方が頼もしく、かつありがたい。
ちなみに「カイロプラクティックについて人前で話す機会をつくる」が最下位なのは、それはそうでしょう。これは設問が悪かった。それこそ学校を出たばかりの研修生には任せられないでしょう。せっかく地元で顔を売る機会でもあるわけであるから,自分でやりますよ、オーナーが、それは。
またしてもカイロプラクティック哲学について
かたや「カイロプラクティック哲学について教える」が下から2番目というのは少々意外な感じをうけた。紅白のトリといえばアムロで、恋人にしたい女性タレントナンバーワンといえば松たか子。そして経営の神様といえば松下幸之助というのは今や大学生でも知っている常識であるが、若き日の松下さんは(たしか)伊勢神宮に参り、率先して奉仕活動に精を出す人々を見て、そこに経営の理想を見たそうである。
それはそうでしょう。働く方は喜んでただ働き、使う方は丸儲け。こんないい話はない。松下さんの経営の秘密とはまさにこれ、ズバリ言って信仰である。社員には若いうちから何をおいてもこれだけはしっかりとたたき込むのが、神様の経営である。そしてそれこそが日本の企業の底力であった。
ナショナル・カイロプラクティック大学の現学長、J・ウインタースタインが言っていた。
「我々が今まで言ってきたようなことを言わずにきたのであれば、カイロプラクティックは今日、生き残っていなかったであろう。しかし、我々がこれからもそれを言い続けるのであれば、カイロプラクティックはこの先、生き残ってゆくことはできないであろう」。
日本はいまだ「それ」を言い続けることによって地歩を固めなくてはならない時期にある、とボクは思っている。カイロプラクティック哲学、大いに結構。イネイト、サブラクセーションと叫ぶくらいではまだ生ぬるい。ここはひとつ、予防接種を拒否するとか、お産は自宅でやるとかぐらいまで徹底してやってみて欲しいのである、術者も患者も。でなくては、ウインタースタインの定理によれば、日本においてカイロプラクティックがカイロプラクティックとして生き残るのはむずかしいということになる。
哲学について語らぬスウェーデンのカイロプラクティックは、その発展段階の一体どこにあるのか。アメリカ同様、すでに語り尽くしてしまった後の成熟期にあるのか。それならばよいが、仮に成熟を待たずして哲学を引っ込めてしまったのだとすれば、これもウインタースタインの定理に照らせば、危険なことである。カイロプラクティック後発国の先輩としてのスウェーデンの今後を見守りたい。スウェーデン・カイロのあしたはどっちだ!
*1) Sigrell H. Supervision of Chiropractors: A Pilot Study. J Manipulative PhysioI Ther 1997; 20:326−30.