バトルしようぜ
以前にも紹介したが、学術誌というものにはたいてい「編集者への手紙」というコーナーがあって、これは論文の発表者が読者からの意見を「受けて立つ」バトルフィールドである。「意見」というのはたいてい論文への反論であり、この反論に対して発表者が再反論をするという体裁になっている。読む方としては、まずあの『朝まで生テレビ』的な面白さにおいて抜群であり、また、ここを眺めておくだけで業界の最もホットなネタをとあえずおさえておけるという便利さもあって、一粒で二度美味しいコーナーである。
さて、カイロプラクティック業界唯一の学術誌である『JMPT(Journal of Manipulative and Physiologic Therapeutics)』の「編集者への手紙」コーナーにおいて、今、大ブレイク中なのがD.D.ハリソン、S.J.トロヤノビッチという両DCである。「手紙」をもらいまくっているのは、彼らが昨年までに発表してきた一連のモーション・パルペーション(以下MPと略す)批判の論文群(*1)である。
彼らいわく、要するにMPは有効性validity、信頼性reliabilityともに劣悪であり、すべてのカイロプラクティック大学のカリキュラム、セミナー、国家試験から排除されるべきである。‥‥‥うーん、いや、なんとも。
筆者が向こうの学校を卒業したのがちょうど6年前(そのちょっと前に生まれた娘がこの4月からピカピカの1年生である)で、まあ業界ではいわゆる若手なのだが、私は、その筆者にして在学中に触診法として習ったのは、いわゆる普通の静的触診であったRPとかLLとかいう、アレである。
つらつら思い返すに、教えている先生の方も、いかにも力が入っていなかったな、あれは。「We don’t put bones back in place(ズレた骨を元に戻すとか、そういうものではないんだよ)」
というあたりのことは、すでに常識になっていた。が、かといってMPを触診のベースにするという方針は、学校として固まってはいなかった。結果、触診は静的触診だが、アジャストメトの目的は「動きをつけること」などというようなことになってしまって、つまり触診と施術との間にミゾがあるわけだ。そんな状況下でテクニックの授業を教えなくてはならない先生はむしろ可哀想なぐらいで、ツッコム気も湧いてこないほどであった。
歴史的にMPは静的触診に変わるものして登場してきた。事実、筆者の卒後まもなく、ウチの学校(National College of Chiropractic)のテクニックの授業はMPがベースになり、これが今も続いているはずである。そんな、新方式への移行もまだ完全でないだろう時期に「ダメ、そんなの。教えるべきでない」などとこられたんじゃ、そりゃあヒートアップするでしょう、「手紙」も。
モーション・パルペーション消えるべし
ハリソンとトロヤノビッチの言うことをもう少しだけ敷衍すると以下のごとくである。
まず有効性validityの方は、最新の3次元生体解析(3D bio-analysis)によって否定されてしまう。非常に複雑な論証を長々とやっている(*2-3)わけなのだが、ごく簡単な一例を挙げると、C2のTPは乳様突起と下顎の関節突起の間に術者が指頭を突っ込むことよって触れることができ、頭の回旋にともなってその動きが触知される、とMPの世界ではなっているのだが、そんなこたあないよアンタ、というけである。まず指頭で乳様突起と下顎の間をまさぐっても、C2のTPにはとどかない。触れることができるわけがない。また、頭の回旋にともなってなんだか動いているように指頭に感じるのはそこら辺の軟部組織である。
次に信頼性reliabilityは、検者間の触診結果の不一致ということで切られてしまう。複数の検者に同一の患者さんを触診させてその結果を比べると、どうもこれがうまく一致してくれないわけだ。例えば同じT4をMPとして、これを検者Aは右回旋フィクセーションと言い、検者Bは左側屈フィクセーションなどと言ってみたりする。結果に統計学的有意差が出ない。
学生時代、筆者はMPのクラブというのに参加した。ボランティアの学生同士で教えたり教えられたりするのだけれども、まずあのC2TPの触診で筆者はつまずいた。どう考えてもそんなものが触知できる気がしなかったし、触知できると言っている連中はそのフリをしているだけにしか見えなった。かくして、ヤスシ(ぼくですよ)のMPクラブへの参加は2回こっきりで終わってしまった。
そんな筆者は、もちろん「うーむ、さすが。なかかやるなあ、ハリちゃんもトロちゃんも」などと、まあ実のところ、肯定的にその論文を読むわけだ。MPの有効性を否定すると、「MPの推進者は、ありもしないものを触れよと生徒に命じている」
という批判的主張が成り立つ。信頼性の否定は、
「あんたらこれは使えると思ってるらしいけど、そりゃあんたらが勝手に思ってるだけよ」とのツッコミに化ける。
モーション・パルペーション残すべし
さて、そんなハリソンとトロヤノビッチへのお「手紙」の大半は、まずとりあえず腰が砕けている。真っ向から論旨に対決を挑むという通常の「手紙」モードではない。むしろ「まあまあ、そう気張らずに」という慰撫的なトーンの強いものが大多数で、これらを最大公約数的にまとめてみると、
「あなた方の言ってることに間違いはないんだけどさあ、じゃあどうすればいいっていうのよ。そりゃMPには確かに問題はあるよ。でも、それでも静的触診よりは、はるかに他の医療者からも納得してもらいやすいものなんだし。実際、外科医でも理法士でもMP使ってる人はいるんだから。だいたい最初からパーフェクトな技術なんて存在しないでしょ。どんな分野の医学だっていろいろと試行錯誤しながら発展してきたんだから、とりあえず今のところはMPでいいじゃない、学校で教えるのも国家試験に出すのも。
それにねぇ、あんたら触診に代わって姿勢分析とかレントゲン撮影とかでやっていこうなんて言ってるらしいけど、ちょっとそれは違うんじゃない? うちらはカイロなんで、カイロの患者さんはまずなんていったって触ってもらいたがってるんだから。触る、っていうことを放棄しちゃあ、カイロがカイロでなくなっちゃうよ」
てな感じだろうか。
これら抑えたトーンの「手紙」群に対するハリソンとトロヤノビッチの再反論の方は、しかし、熱い。
「MPの問題を認識していながら、なおかつMPを学校で教え続けよう、国家試験に出し続けようというのは自家撞着(internally inconsistent)である。MPなぞ使わなくても姿勢分析とレントゲン分析で充分にわれわれは仕事をやってゆける。ありがたがってMP使っている医師や理学療法士なぞ、それこそこっちが批判してやらなくてはならない存在だ。
最初からパーフェクトな技術なんかないというのはその通りであるが、これだけMPの非有効性、非信性が明らかになったのであるから、業界としては今まさにこの段階で、この技術を捨て去るべきである」
MPの技術としての可否にとどまらず、学校で何を教えるか、国家試験に何を出すべきかなどという話がからんできているところが、この議論がかくも熱している原因の一部であろうか。学校だって商売である。ましてや政府の援助の少ないカイロプラクティック大学は特にそうである。商売の内容に、身内でもない人間からケチをつられるなんて、とりあえず気分の悪いことだ。また、へんに頭が良くてり『JMPT』なんか読んでいる学生が突っ込んできでもしたら、テクニックの先生としてはまたやりづらかろう。
わが校では
などと考えると、どうもこれは人ごとではない。わが大川カイロプラクティック専門学院でも(本誌の読者はみなさんすでにプロで、これから2年制の学校などに入って来ないからプロモじゃないですよ、これは)とりあえずMPをやっているではないか。ましてや学院長自らこんな記事を書いてしまっているんじゃあ、後々まずいことになりはしないか。MPが信頼に足る技術でないと知っていながら教えていた、などと言われたら反論できない。
「知らぬが花」、知らないことに対しては誰も責任を問われないが、なまじ知っていたがゆえに罪になってしまう、などということはままあるではないですか、世の中。
みなさん、柔道に受け身ってありますね。どこの道場に通ったって、学校の授業で柔道やる場合だって、必ずやらせられるものです。でも、みなさん、オリンピックの柔道の試合で選手が受け身とったのって見たことありますか。まず絶対にないはずです。受け身なんかとったら、自分から負けたと言っているようなものですからね。どんなに見事にひっくり返されて、「いや、これは完全に実力の差。とても私なんぞの敵う相手ではありません」と心底思ったとしても、それでも最後の最後まで必死に抵抗して「そんな技、決まってないもんね−」という態を装うのが競技ってもんです。
ではこの事実をもってして、例えば日本柔道連盟が「日本柔道を復活させるため、競技力向上に結びつかない稽古は、金輪際どこの道場でもやってはならん。受け身もしかり」などということを言い出す可能性はいかほどでありましょうか。限りなくゼロに近いでありましょう。
要は、競技力の向上のみが柔道か、という問題でしょう。有効性、実効性、合理性、競争力・・・・・・何事もそういったものを突き詰めさえすれば、それだけで人は幸せになれるのかという、まあ、これはそういうような話だろうと思うわけです。
筆者は柔道の試合というものに出たことは一度もないが、小学校の時に通った近所の警察署(いえ、補導されたわけではなくて)の子供柔道教室受け身を習い、そしてこれに二度ほど助けられている。一度は車に当てられて、乗っていた自転車ごとアスファルトの路上に放り出された時で、いま一度は両手をポケットに突っ込んだまま塀の上から落ちた時(何やってんだ!?)である。いずれとも、受け身を知らなかったら相当の怪我をただろう(特に頭)と思われる状況であったが、かすり傷程度で済んだ。そう、柔道にせよ何にせよ、それが結局は人の営みである限り、ただの技だったり、ただの学術だったり、ただの療術だったりなどということは厳密にはあり得ないのだ。
などという振りかぶった理論で何を正当化しようとしているかというと、そうだ、ウチの学校でMPを教えている理由であった。受け身で基本的な体の動きが体得されるように、MPで基本的な(例えば棘突起、上前腸骨棘、脛骨粗面などなどの)ランドマークのつかまえ方を学ぶでしょう、生徒さんは。また、くるぶしのところをそんなふう強く持ったら患者さんは痛いとか、そんな乱暴に手を離したら粗暴な印象を与えるとか、夕方以降はロが臭くなるからリステリンでもした方がいとか、そんなようなことも学ぶことができるではないですか、MPで。
これら、いずれも手技療法家としてやってゆく上では絶対に持っていなくていけない感覚ではないですか。少なくともレントゲン分析や姿勢分析の訓練をどんなに積んでも、こういったことは学べませんよ。と、いつものごとくゴーインにオチに行ってみたが、どうであろう。
参考文献
*1.Troyanovich SJ.Motion palpation: it’s time to accept the evidence.J Manipulative Physiol Ther 1998;21:568-71
*2.Harrison DE,Harrison DD,Troyanovich SJ.Three-dimensional spinal coupling mechanics. Part I:A review of the literature. J Manipulative Physiol Ther 1998;21:101-13
*3.Harrison DE,Harrison DD,Troyanovich SJ.Three-dimensional spinal coupling mechanics.Part II: Implications for chiropractic theories and practice. J Manipulative Physiol Ther 1998;21:17-86