ケベック・タスク・フォースのD.キャシディーDC,PhDと語る
聞き手 大川 泰 DC
日本で初めての開催となったWFC世界大会には国内外の研究者および臨床家が一堂に会し、本大会のテーマである頚椎について数々の発表がなされた。そのなかでも基調講演のトップバッターとしてプレゼンテーションを行なったことからも察せられるように、特に注目度の高った人物がデビッド・キャシディーDC.PhDだ。キャシディー氏は、本誌前号で詳しく伝えた
カナダ・ケベック州のむち打ち関連障害(WAD)の調査チームにDCとしてただ一人参加した俊英であり、また将来を嘱望される国際的にも指折りの研究者でもある。本誌では事前にアポイントをとり世界大会の開催中にインタビューをする機会に恵まれたので、特にインタビュアーを大川秦DCに依頼し、キャシディー氏の人となりおよび世界の今日的マニピュレーションの臨床ならびに学術性などについて伺った。
カーカルディ−ウィリス博士に師事
大川 まずはじめに本大会の印象から伺いたいと思います。
キャシディー 非常に素晴らしいものだったと思います。科学的なレベルも高かった。今回、私はフィリピンで開かれていた国際的な腰椎についの学会から直接こちらへ来たのです。それは主に医師、特に外科医たちによって行われている学会でしたが、実のところ、こちらのWFC世界大会の方が学術的なレベルはむしろ高かったと思います。これは我々としては非常に誇るべきことです。カイロプラクティックはこの20年間で実に驚くべき成長を遂げました。
大川 先生が参加されたトロントでの世界大会と比べても遜色ないと?
キャシディー もちろんです。むしろ東京大会の方がずっとよかったと思いますよ。WFC世界大会は回を追うごとによくなってきているのが私には明らかに見てとれます。
大川 あなた自身のことについて少々お聞きします。年齢はおいくつですか?
キャシディー 46歳です。
大川 カナダのトロント出身で、カナディアン・メモリアル・カイロプラクティック大学を卒業されて、それでそのまま研究活動に入られたのですか?
キャシディー いいえ。1年間ほどトロントで、あるドクターのもとで開業していした。彼は非常に聡明な方で、私に学術研究の重要性や科学的な論文を読むことの大切さを繰り返し説きました。その後、サスカチュワン大学で外科医のカーカルディ−ウイリス教授のもとで働く機会を得ました。彼のもとで何年聞か勉強しましたが、その間に解剖学で学士、整形外科学で修士、病理学で博士を取りました。
大川 いまもカーカルディ−ウィリス博士のもとでお仕事を?
キャシディー いいえ、彼は私が修士を取った後で引退しました。
大川 するとあなたは今では相当程度、自分で研究の指揮をとる立場にあるわけですね。
キャシディー そうですね。いまはサスカチュワン大学内に研究所をもって、主に腰痛の原因に関する研究や、腰痛・頚部痛の地域別、職業別、性別などの発生状況についての研究を行なっています。
大川 研究員にはカイロプラクターもおられますか。
キャシディー はい。大部分はカナディアン・メモリアルの出身です。
サブラクセーションの見解
大川 あなたはカーカルディ−ウィリス博士の編著になる『Managing Low Back Pain』で「マニピュレーション」の章の執筆に参加されていますね。その中でカイロプラクティック手技をキャビテーションを伴う関節操作と定義して、これをモビリゼーションすなわちキャビテーションを伴わない操作から区別しています。これは優れたカイロプラクティックの定義であると私は考えているのです。カイロプラクティックはズレた骨を元にすものであるという考え方をとっていない点が。しかしながら、これに関連していくつか私には明らかでないことがあり、それらをかねてからあなに聞いてみたかったのです。さて、もしあなたがカイロプラククターとして患者を診る場合、いわゆるスタティック・パルペーション(静的触診)行なって「背骨のズレ」を探すということをしますか。
キャシディー そうですね。スタティック・パルペーションは行いますが、それは軟部組織の硬直や痛みの場所を確認するためのものです。その意味ではスタティック・パルぺーションは非常に重要なもので、これによって患者の状態の大要はつかめるものです。しかしながら、スタティック・パルペーションは「背骨のズレ」を探すためのものではありません。例えば、棘突起の触診によってある椎骨が右にズレているような印象を受けたとしても、私はそれを背骨のズレとは認識しませんし、当然、その椎骨を右から中央に戻すな操作を行うこともしません。人体とは本来、左右不対称なものなのですよ。私の左手は右手より大きいですし、脊椎にしても精密に調べてみれば、いくらでも左右不対称な形の椎骨が出てきます。いわゆるスタティック・パルぺーションによって「背骨のズレ」を見つけたと触診者が確信したとしても、それはただ棘突起なり何なりが右か左に生まれつき少し曲がっているというだけかもしれないではないですか。また、脊椎の微小な変位すなわちズレというものが痛みの原因になるということを実証した人はいまだにいないのです。
大川 ありていな言い方をすれば、あなたはサブラセーションというものを信じていないということですか。
キャシディー それは信じる信じないという問題ではありません。背骨のズレが痛みの原になるという証拠は存在しません。それだけです。そして、それだからこそカイロプラクティック界はこのサブラクセーションというものの定義づけに苦心惨憺してきたのです。もともとサブテクセーションは背骨のズレもしくは歪みということでよかったし、カイロプラクティックはそれを矯正する技法ということでよかったわけです。ですが、カイロプラクターも、医師も、物理療法士も、こんにち学術研究というものが徐々に明らかしていることに耳を傾け、自らの理論を前進させること、そして過去に拘泥しないことが非常に大切になってきていると思います。カイロプラクィック界は、時として、過去を捨てることに消極的な姿勢をとってきました。我々には過去の遺産が必要である、これをもち続けることによってこそカイロプラクティックはカイロプラクティックとしての独自色が出せると信じたわけです。私はこれは間違った考え方だと思います。過去は過去としてそれから脱却し、業界が一丸となって前進しなくてはならないと思っていますし、それができない人々は次第に消え去る運命にあるでしょう。
フィクセーションの見解
大川 その点について私はあなたと100パーセント同感です。しかし、いまだに米国においてさえもカイロプラクティック大学ではスタティック・パルペーションに基づくいわゆるリスティングというものが教えられていますし、学生たちはズレた椎骨を正中線上に戻すとされる手技を学んでいるわけです。私もそういうふうに教わりまた。このことについてはどう感じていらっしゃいますか。
キャシディー 正しくないことだと思います。
大川 例えばの話ですが、もしあなたが学校カリキュラムを作るとしたら、このような状況を変えようとなさいますか。
キャシディー このことについてはカイロプラクティック大学も骨を折っているのだと思います。通常、大学のテクニック教師たちの多くは学術研究に参加したり、学術論文を読んだりということをやっていません。彼らの大部分はいまだに過去にとらわれています。これには経済的な理由も考えられなくはありません。カイロプラクティック大学の大部分は私立であり政府からの援助を受けていません。ですから大部分の大学にとって、学術研究に目を配る余裕のあるフルタイムの教師を雇う余裕はないのです。すると大学としてはパートタイムの教師を雇うわけですが、そういった人達というのはただ自分たちが30年ほども前に教わったテクニックをそのまま教えるだけということになりがちなわけです。この状況は改変されなくてはなりません。実際、いくつかの大学はその途についていますが、それ外の大学ではまだといえるでしよう。
大川 カナダではテクニックのコースはどのように教えられているのでしょう。
キャシディー よく知りません。私の所とカナディアン・メモリアル大学とは約2500キロも離れていますし、カナディアン・メモリアル大学にはもう何年も行っていません。
大川 サブラクセーションについてお話を伺いましたが、今度はフィクセーションについてはどうでしょう。骨がズレるのではなくて、関節の動きもしくは遊びが失われることが痛みの原因であるというのがその基本的な考え方です。これについてはどう感じていらっしゃいますか。
キャシディー それは一つの仮説であって、いまだに完全には実証されていません。しかし、非常に常識的で理解しやすい仮説でもあります。患者が痛みを訴える場合、通常、当該部位には可動域の制限があるわけで、治療の最終目的はその可動域の回復ということになります。カイロプラクティック大学のカリキュラムはこれから先よりフィクセーション理論に基づく診断の正当性を立証するという方向に進んでいくと思います。フィクセーションという現象は客観的に、科学にその存在を立証するのがむずかしいものです。でもこの方面の研究は進行中であり、実験データも出そろってきています。背部痛というものは必ず反射的に筋スパズム、筋のコリ、そして可動域制限を伴うものであり、マニピュレーションは反射作用を通して筋を弛緩させ、痛みを減少させ結果として正常な可動域を回復するのです。しかし、これを完全に証明するにはまだまだ研究が必要です。
大川 仮にあなたが実際に患者を診ているカイロプラクターだったとして、次のようなケースを想定してみましょうか。ある腰痛患者が、腰椎の屈曲に伴って痛みを訴えていて、それ以外動作では一切痛みを感じないという場合、あなただったらカイロプラクティックを行いますか。
キャシディー その質問は漠然としすぎています。カイロ手技を行うか否かの判断のためには、より多くの情報が必要です。まずは問診です。例えば、患者が50歳以上で、特に夜に痛みが激しくなるために睡眠不足になり、体重が減少しているというような場合には、悪性腫瘍の可能性を視野に入れて精密検査を行わなくてはなりません。まあ、こういったことを始めるとキリがありませんが。
手技操作の方向
大川 それではケースの幅を狭めてみましょう。カイロプラクティック手技の方向についてです。『Managing Low Back Pain』によると、カイロプラクティックは反射的に筋の弛緩をもたらすということになっています。さて、さきほどの腰痛患者が、腰椎をいずれの方向に回旋させても痛みは感じないと仮定します。あなたならどちらの方向に手技操作を行いますか。右と左の両方向に回旋手技を行うということになりますか。
キャシディー それは実は非常にむずかしい問題です。多くのケースにおいて、どちらの方向に手技操作を行うべきかということは正確には分からないものです。しかし、私の個人的な印象のレベルでお話しをしてさしあげることはできます。もしある患者が右回旋で痛みを訴えるのであれば、私だったらそれ以上、右回旋を強要することはせずに、逆すなわち左回旋方向に操作します。つまり痛みのない側への操作を一つの原則としてよいと思います。しかしながら、もしその患者が右回旋に伴って感じるものがそれほどひどい痛みでない場合、熟練した術者であれば右回旋方向に手技を施すことは可能だと思いますし、時としてそちらの方がより効果的であることもあります。しかし、これについては、私はそれをバックアップする証拠を持ち合わせていません。ですから、これは臨床家としての私見ということになります。
大川 患者が軽度な痛みを感じる方向への手技が効果を現すということは、『Managing Low Back Pain』の中でカイロプラクティックの治効機序の一つとして言及されている、椎間関節付近の軟部組織の癒着の剥離ということと関係がありそうですね。
キャシディー そうです。それは一つの可能性です。しかし実証はできません。長年、私は多くの脊柱を解剖し、椎間板、椎間関節、そして仙腸関節も調べてきましたが、男性では40歳、女性では50歳を超えると、関節の微小な癒着というのは非常に一般的になってきます。そして、その癒着が部分的に腰痛の原因になっているということは考えられることです。しかし操り返しになりますが、確証はありません。
技(わざ)としてのカイロプラクティック
大川 カイロプラクティックの和痛効果の大きな部分は、ゲートコントロール観によって説明されます。この考え方だと、手技操作によって入力される感覚刺激は大きければ大きいほどよいということになります。そこで、私だったら、ある腰痛患者が左右いずれの回旋にも痛みを訴えない場合には、腰椎を左右両方向に高速・低幅で操作します。その方がより多量の刺激を入力できるわけですからね。これは正しい考え方でしょうか。
キャシディー ええ、そう思います。私も臨床を始めたばかりのころはモーション・パルペーション的な考え方に強く影響を受けていました。しかし何年もの経験を通して私が確信するに至ったことはこういうことです。痛みをはじめとする何らかの障害を患者がかかえている場合、脊柱というものはその全体が固着化しているものなのです。モーション・パルペーションの理論が教えるほど、特異的に固着化あるいはフィクセーションのレベルを特定することはできません。多くの場合、腰が痛いといえば腰全体が痛いのです。基本的には、固着化は解除してやればやるだけ、マニピュレーションはやればやるだけ、動きによる刺激は入力してやればやるだけ、治療の効果は高いのです。しかし、カイロプラク
ティックとは技(わざ)です。その術者は皆、それぞれ自分なりの考え方を開発するものであり、これはまた科学とは別の問題になってきます。どちらの方向に換作を行うのがよいのか、何回行うのがよいのか、などというテーマについての研究は存在しません。しかしそれでも我々はそれぞれドクターとして独自の技(わざ)を作り上げるのです。
私も長年、多くのカイロプラクターたちを見てきましたが、あるカイロプラクターは頚部痛の治療により高い効果を示し、またあるカイロプラクターは腰痛の治療が得意であったり、などということがあります。ですが、彼らのやっていることを見てみるに、基本的にはみな同じことをやっているわけです。操作のしかたやその標的の定め方などに微妙な違いがあるだけです。で、そのような違いによる治療効果の差についての研究などもまだその端緒についていないというのが現状です。
手技のみを強調するのは無為
大川 特異的なアジャストメントと非特異的なアジャストメントということについてもう少しお伺いします。B.J.パーマー以来、カイロプラクティックのアジャストメントはスペシフィック、つまり特異的であるべきであると強調されてきました。またいまだにカイロプラクティック界一般もこの考え方を支持しているように思います。私は臨床家として、ある椎間関節に特異的にキャビテーションを生じさせることは、まず技術的に不可能に近く、かつ仮にこれが行えたとしても臨床的に意味のないことであると考えています。ですから実際に手技操作を行う場合、私はある椎骨に特異的に操作手のコンタクトを置くなどということはしません。例えば腰椎の手技であれば、一方の手は患者の肩に、もう一方の手は患者の殿部に置いて、腰全部を“鳴らす”ように操作します。まあ、これをカイロプラクティック大学のテクニックの試験で実際にやったらまず零点ですね。で、お伺いします。これについて、もしあなたが私の先生だったらどう思われますか。
キャシディー うーん、あなたの考え方は非常に進んでいると思います。私も特異的なアジャストメント、特異的なコンタクトというものは信じでいません。例えば、急性でも慢性でも、腰痛患者の贋は非常に固くなっているわけですが、効果的な治療を行うといわれるカイロプラクターのやることを見ていると、横向きにして背骨を全部“鳴らし”て、今度は逆向きにしてまた全部“鳴らし”て、腹臥位にしてまた“鳴らし”て、という具合です。結局のところ、いわゆるフルスパインなのです。ですから、特異的な手技操作、つまりある特定の脊椎分節を標的とすることについて科学的な根拠はないと考えます。また、これはモーション・パルぺ−ションについても同様で、ある特定の方向にある特定の方法で椎骨を動かすことによってのみ治療効果が現れるという考え方はナンセンスだと思います。もちろん、これも私の個人的な意見ですが。
大川 いまだに多くのテクニックの解説書が特異的な手技を解説し、多くのカイロプラクターが特異的なテクニックを教えるセミナーを開いています。このことについてはどう感じておられますか。
キャシディー 私の言っていることは私の意見、私の持論です。それが必ずしも真実であるとは言い切れません。臨床家としての私の意見を言わせてもらえば、カイロプラクティック界は手技の特異性ということに拘泥し過ぎです。これは無駄なことです。自分自身、臨床家としてスタートしたばかりの頃は手技の特異性ということを強く信じていたにもかかわらず、今の私はそう思います。もし私が自分のカイロプラクティック大学をもつとしたら、特異的な手技についてはもっとずっと切り詰めた時間のみを割り当てます。そしてその他のより重要なことに時間をかけるのです。例えば、腰痛の心理社会学的側面などということですが、これは非常に重要なことです。また、患者教育などはカイロプラクターがマニピュレーションと一緒に使えば非常に効果的なものですが、これも取り上げてみたい。カイロプラクターは手技を強調しすぎる傾向があります。ですが患者に与えられるべきは手技のみではありません。適切な指導、教育を患者が受けること。これが必要です。だからといってこれを精神科医や心理学者が行うのは効果的ではありません。むしろ、精神科医や心理学者がこれを臨床家に教えるのです。
そのほか、カイロプラクティック業務に付随して行われるべき手技以外のことはまだまだたくさんあります。ですが、この業界は手技の特異性をはじめとして、複雑な動作やら、複雑なリスティングやら、そういった枝葉末節にこだわり続けてきました。私に言わせれば、これはまったくおかしなことです。多くのカイロプラクターたちがそういったことにかかずらって多大な時間を空費しています。
大川 なぜそうなってしまっているのでしょうか。
キャシディー 伝統というもののせいでしょうね。
原則はシンプル。だからむずかしい
大川 カイロプラクティック大学の運営上の事情ということもあるのではないでしょうか。テクニックが見かけ上複雑になればなるだけ、学生を“留め置いて”おきやすいわけですよね。経済的な面でも、楽に教えやすいという意味でも、大学の側からすればこっちの方がいいわけです。
キャシディー それもあると思います。私はうちの大学の付属病院に35名から40名ほどのカイロプラクターをカナディアン・メモリアル大からの新卒で採用していますが、彼らの大部分はまあ様々な特異的なパルペーション法やアジャストメント・テクニックを知ってはいます。でもカイロプラクティック操作の技術そのものの練度はあまり高くないですね。私に言わせれば、いっぱしの手技療法家になるのには3年から5年かかります。そしてこれはほかのどんな分野の仕事についても同じです。私がやっている科学研究だって同じです。科学の仕事の大部分は退屈なことの繰り返しです。退屈な仕事の繰り返し。これこそが科学であるとまで言っていいくらいです。臨床も同じです。
我々は手技操作というものを複雑なものに見せかけようとしがちですが、原則はきわめてシンプルであり、シンプルであるからこそ私はそれを美しいと思います。しかし、シンプルということは簡単である、容易であるということを意味しません。シンプルだが、なおかつむずかしい。あるいは、シンプルであるがゆえにむずかしい。これこそがカイロプラクティックの手技だと思います。
大川 きょうはお疲れのところ時間をとっていただきありがとうございました。お話しをすることができて大変うれしく思います。